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もうちょっとでこのテンプレートが似合う季節がやってきます。テンプレート変更サボってる間に1年が・・
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今日は14時から少しだけお手伝いしている会の新年会
姫路で昼間からゴージャスなお食事をいただきました。
フリードリンク制
シャンパン、ワイン、ビール飲み放題!
お天道様に申し訳ないと言い訳しつつ飲んでしまいました。
この会は毎年
今年の目標を漢字一字で表すと
というテーマで全員スピーチが課せられるのですが
去年は
身も心も(体重も)軽くと言う意味で軽を
今年は数日前から考えたのですが
力にしました。
体力、知力、気力
どれも落ちてきています。
なんとかカムバックの願いをかけて決めました。
来年は何にしているでしょうか?

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先日、職場に一本の電話がかかってきました。
10年前まで勤めていた職場の守衛さんからでした。
“お元気ですか?”と
実はもう転勤して10年少したつからと
年賀状をいただいたのに返事を出していなかったのです。
“毎年お返事いただいたのにちょっと気になったので・・
また顔見に行きます。”
と、
こちらも年賀状を出さなかったご無礼をおわびして電話を切りました。
一本の電話でいろいろなことを思い出しました。
この守衛さんは自分の業務を忠実にはたすだけでなくて
人のことを考えて業務以上のことを頼まれなくてもやってくださる方でした。
厳冬の深夜
残業で遅くなると ほぼ例外なく車のフロントガラスが凍っていました。
しばらく暖機運転してデフロスター全開にすれば時間はかかっても前が見えるようになります。
でもそれでは時間がかかるだろうと
この守衛さんはいつもお湯を持ってきてフロントガラスにかけて下さいました。
起こすのが気の毒だし、いいお年なので風邪でもひかれたら大変と
守衛さんが起きておられる時間はともかく
1時とか2時になると起こさないようにそ~っと守衛室の前をとおって出るのですが
なぜか気付かれてやはりお湯を持って走ってきてくださいました。
同僚に聞いても皆にそうしておられるとのことで、感動したのを覚えています。
60の還暦のお祝いには
たくさんで守衛室に押しかけ赤いちゃんちゃんこを着てもらって
ケーキでお祝いしました。
皆から愛されて私が転勤して数年で定年を迎えられたと聞きました。

自分のサボりで年賀状を出さなかったのに
心配して電話まで下さったこの守衛さんの優しさが胸にしみ
やっぱり年賀状減らすのをやめようかと考えた日でした。

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7時から姫路で研究会の打ち合わせ会、
腕時計の電池が切れていたのを思い出し
少し早く職場を出て駅前の時計屋に向かいました。
電池交換は約15分かかりますとのことで
本屋で時間をつぶそうとしたところ
セール、30%引きとの看板のかかったブティックが目に入り
思わず立ち寄りました。
見るだけのつもりがちょっと気に入って試着
普段着ですが買ってしまいました。
“ほんとは明日から半額、今日は30%引きなんですが
もう今日は閉店ですし半額でいいですよ”
と言われて思わずにっこり。
なんかすごく得した気分になりました。

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昨日のことのように鮮明に思い出すことが出来ます。
当時私は神戸市垂水区に住み、明石の職場に通っていました。
揺れが始まる前にごーっという音がしたこと
今まで感じたことが無い揺れがそれに続き
階下で食器の割れる音が派手にしたこと

それに続き停電、断水、ガスも止まり
真っ暗な中、懐中電灯で1階に下りて怪我をしても・・
と、もう一回寝ようかと思っても眠れるわけもなく。
ラジオではまだ奈良県でけが人が数人なんて言っているし
どうなってるんだろう?

最初は電話も通じて
安否確認も容易に出来ましたがそのうち電話も通じなくなりました。
家族の無事を確認したのち
ラジオをつけっぱなしにしているといろいろなことが次第にわかってきました。

地震当日にはまず電気が復旧しテレビを見ることが出来ましたが
信じられない光景がそこにはありました。
そして死亡者のリストの中に親戚の名前、知人の名前がありました。
まだ安否を確認できていない友人の無事を祈るのみでした。
夜に友人から
電話があり家が全壊し避難所にいるとのことでした。
どういう言葉をかけたか記憶がありません。
会いに行くにも交通手段がありません。

翌日には電話がかなり通じるようになり
あちこちから電話が入りました。
長い間年賀状でしか連絡を取ってない友人たちが電話をくれました。
これは本当にうれしかったです。
声を聞くだけで、自分のことを心配してくれている人がいるだけで
とても元気が出ました。

数日目に職場から救援活動で長田の避難所に入りました。
明石から長田まで行きはパトカー先導で2号線を走り約40分
そこにはとても正視できない光景が広がっていました。
帰りはパトカー先導はありませんでしたので3時間かかりました。

水道は約1週間
ガスは2ヶ月以上復旧までにかかりました。
職場では水が出たので毎日職場から20Lの水を持ち帰りました。
(腰を痛めました)
ポリタンクもそのころは家に常備していなくて
検査室の純水容器をもらいました。
シャワーを使ったのは震災後1週間以上たってからでした。
職場の友人が寮のシャワーを使わせてくれました。
その間着替えもしなかったけれども全く気になりませんでした。

日に日に死亡者発表数が増え
被害状況も深刻であることが伝わってきました。
何よりも命を落とされた方、家族を亡くされた方
どう声をかけてよいかわかりません。

1年以上たってから長田で亡くなった知人の為にお線香をあげに行きました。
家が全壊して生き埋めになり火が回って逃げられなかったとのことでした。
知人の友人に案内してもらって
“この場所で”と考えただけで、その苦しみを考えただけで
立っている事が精一杯でした。

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大学洋上セミナーで知り合った友人と “彦”に行ってきました。
ちょっとローカルな会で近くにいるものが集まりました。
久しぶりですがやっぱり安くておいしかったです。
場所がわかりにくいのですが
友人のナビで無事到着。
ナビがなかったらちょっと危うかったかも?

もうすぐ下船して4ヶ月
もう4ヶ月、まだ4ヶ月という感じが両方あります。
すごく昔のことのようにも思うけれど
話をしているといろいろよみがえりつい昨日のことのようにも思います。
30日間を一緒に過ごした友人の再会は楽しいです。
次回は“にくてんや”(これまたローカル)にしようと言うことになりました。

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