音楽と山が好き
もうちょっとでこのテンプレートが似合う季節がやってきます。テンプレート変更サボってる間に1年が・・
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2010
01/17
あれから15年
http://www.kobe-c.ed.jp/research/on-es/kobenouta/shiawase.html
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無題
15年も経ったんですね。
イアンはまだ生まれてませんでした。
あの朝のことは今でも覚えています。
子供が大丈夫か咄嗟に起きて見ました。
次の日、旦那は応援で神戸に行きました。
余震で緊張の中、夜中も走ってたそうです。
帰ってからも目の前で見た光景が現実のものとなるには「生を見てないお前ではあの怖さはわからん」と言われました。
それがもう15年も経ったんですね。
by ときん
2010/01/17(Sun)20:5830
Edit
Re:無題
ときんさん
確かに
私も目に焼きついて消えない景色があります。
激震地
ほとんどの家がつぶれていて
そして
ほとんどの家にお花が供えられていて
この家も、あの家も
と胸つぶれる思いで歩いた事思い出します。
by aizankei
2010/01/18 22:21
早いですね
この時期になると「ああ、あれからもう○年か・・・」と振り返ります。
私は大学生でした。
まだまだ呑気だったな。
いろんな特番を見るたびに、つらい思いをした方が多かったんだと、いまだに涙がでてきます。
by
kazu
URL
2010/01/17(Sun)21:0217
Edit
Re:早いですね
kazuさん
私も未だにこの歌を涙なしで聞く事はできません。
kazuさん、大学生だったんですね。
お住まいが激震地をはずれていて良かったですね。
あの瞬間 住んでいるところの少しの差が生死を分けましたから
by aizankei
2010/01/18 22:23
あれから15年
aizankeiさん、こんばんは。
あれから15年。
その年月は長いのか短いのか・・・
私はあの時、香港にいました。
こちらの英語学校の早朝授業に行って、
その悲惨な震災の第一報を知りました。
慌てて帰って、親類縁者の安否を問いました。
そちらの方に拠点を置いている友人知人とは
長い事連絡が取れず、不安でした。
ここ数日、こちらでも報道されている
NHKの限られた番組で、この震災から15年、という
ものを幾つか見ました。
町は復興しているけれど、果たして本当に
人々の心も復興しているのか?という。
震災直後の数年は、復興のために走り回っていて、
親を亡くした方でさえ、その悲しみに浸る暇がなかったと。
町が復興していくにつれ、次第に肉親を失ったことへの
想いがこみ上げて来て、震災が起きた時よりも、
もっともっと心が落ちていったということ。
実際に被災された方々の心に受けた傷は、
そう簡単に癒えるはずはないですよね。
私は実際に被災していないので、本当のところまでは
理解することはできませんが、日本人なら、
忘れてはいけないことだと思います。
日本なら、どこでも起こりうることで、
決して人ごとではないと思うから・・・
この震災で亡くなられた方々のご冥福を
お祈りすると同時に、被災された方々が
少しでも幸せを感じて生きていかれますことを、
心からお祈りしております。
by ペンネ
2010/01/17(Sun)23:2724
Edit
Re:あれから15年
ペンネさん
遠くから心配されたことでしょう。
あの地震の後
しばらくは電話も通じましたが
その後全く通じなくなりました。
そして不思議に国際電話が通じて
ロスにいる友人から電話が通じた時は歓喜しました。
いろいろな番組があり
私もあまり見ることができませんでした。
地震のどれくらい後の番組でしたでしょうか?
NHKのアナウンサーが号泣していました。
誰もそのアナウンサーを責めませんでした。
あまりに語るにもつらい内容だったので。
6千人以上の方が亡くなったこの地震を決して忘れる事はできません。
これからも神戸を淡路を阪神を温かく見守ってください。
by aizankei
2010/01/18 22:29
無題
私はちょうど大学4年の後期試験の初日でした。
仲良しの友人は、試験があるので実家に帰らず下宿にいたため、倒壊した建物のために亡くなりました。
その時、私は「強い心で…」どころか、オロオロしている情けないものでした。あのとき地震が無かったら、今どんな風だったかな、と考えます。
by ギエム
2010/01/18(Mon)00:3036
Edit
Re:無題
ギエムさん
ギエムさんにも そんなつらい思い出があるのですね。
あの地震で本当にたくさんの学生さんが亡くなりました。
本当に痛ましく悲しい事でした。
生き残った私たちにできることはなんでしょうか?
by aizankei
2010/01/18 22:32
震源地に近い程。。。
地震後、名古屋から主人の実家の甲子園への連絡は
インド出張中の主人を通じてでした。
震源地から離れる程連絡が取り安いというのは、
1989年のサンフランシスコ地震と1994年のロス・ノースリッジ地震で当時住んでいたドイツからSFの母、名古屋からNorthridgeの叔父へのTELで経験済みです。
アメリカでの地震前、日本ではこのような被害はあり得ないと言われていました。
近い将来必ず起こると予想される東海大地震、尊い犠牲者の死を無駄にしないためにも、この震災での教訓を生かしてほしいものです。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007152479
by Mちゃん
2010/01/19(Tue)10:4317
Edit
Re:震源地に近い程。。。
Mちゃん
やっぱりそうなんですね。
名古屋ー甲子園より インドー甲子園 が通じやすいというのはなぜでしょう?
地震の後ほんとに数十分はどこにでも電話が繋がって
その間にあちこち消息確認できたのは私の場合ラッキーでした。
そして
その後一切通じなくなりましたから・・。
でもロスからはかかってきたんですね。ほんとに不思議でしたが元気もらえました。
by aizankei
2010/01/19 20:58
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イアンはまだ生まれてませんでした。
あの朝のことは今でも覚えています。
子供が大丈夫か咄嗟に起きて見ました。
次の日、旦那は応援で神戸に行きました。
余震で緊張の中、夜中も走ってたそうです。
帰ってからも目の前で見た光景が現実のものとなるには「生を見てないお前ではあの怖さはわからん」と言われました。
それがもう15年も経ったんですね。
Re:無題
確かに
私も目に焼きついて消えない景色があります。
激震地
ほとんどの家がつぶれていて
そして
ほとんどの家にお花が供えられていて
この家も、あの家も
と胸つぶれる思いで歩いた事思い出します。
早いですね
私は大学生でした。
まだまだ呑気だったな。
いろんな特番を見るたびに、つらい思いをした方が多かったんだと、いまだに涙がでてきます。
Re:早いですね
私も未だにこの歌を涙なしで聞く事はできません。
kazuさん、大学生だったんですね。
お住まいが激震地をはずれていて良かったですね。
あの瞬間 住んでいるところの少しの差が生死を分けましたから
あれから15年
あれから15年。
その年月は長いのか短いのか・・・
私はあの時、香港にいました。
こちらの英語学校の早朝授業に行って、
その悲惨な震災の第一報を知りました。
慌てて帰って、親類縁者の安否を問いました。
そちらの方に拠点を置いている友人知人とは
長い事連絡が取れず、不安でした。
ここ数日、こちらでも報道されている
NHKの限られた番組で、この震災から15年、という
ものを幾つか見ました。
町は復興しているけれど、果たして本当に
人々の心も復興しているのか?という。
震災直後の数年は、復興のために走り回っていて、
親を亡くした方でさえ、その悲しみに浸る暇がなかったと。
町が復興していくにつれ、次第に肉親を失ったことへの
想いがこみ上げて来て、震災が起きた時よりも、
もっともっと心が落ちていったということ。
実際に被災された方々の心に受けた傷は、
そう簡単に癒えるはずはないですよね。
私は実際に被災していないので、本当のところまでは
理解することはできませんが、日本人なら、
忘れてはいけないことだと思います。
日本なら、どこでも起こりうることで、
決して人ごとではないと思うから・・・
この震災で亡くなられた方々のご冥福を
お祈りすると同時に、被災された方々が
少しでも幸せを感じて生きていかれますことを、
心からお祈りしております。
Re:あれから15年
遠くから心配されたことでしょう。
あの地震の後
しばらくは電話も通じましたが
その後全く通じなくなりました。
そして不思議に国際電話が通じて
ロスにいる友人から電話が通じた時は歓喜しました。
いろいろな番組があり
私もあまり見ることができませんでした。
地震のどれくらい後の番組でしたでしょうか?
NHKのアナウンサーが号泣していました。
誰もそのアナウンサーを責めませんでした。
あまりに語るにもつらい内容だったので。
6千人以上の方が亡くなったこの地震を決して忘れる事はできません。
これからも神戸を淡路を阪神を温かく見守ってください。
無題
仲良しの友人は、試験があるので実家に帰らず下宿にいたため、倒壊した建物のために亡くなりました。
その時、私は「強い心で…」どころか、オロオロしている情けないものでした。あのとき地震が無かったら、今どんな風だったかな、と考えます。
Re:無題
ギエムさんにも そんなつらい思い出があるのですね。
あの地震で本当にたくさんの学生さんが亡くなりました。
本当に痛ましく悲しい事でした。
生き残った私たちにできることはなんでしょうか?
震源地に近い程。。。
インド出張中の主人を通じてでした。
震源地から離れる程連絡が取り安いというのは、
1989年のサンフランシスコ地震と1994年のロス・ノースリッジ地震で当時住んでいたドイツからSFの母、名古屋からNorthridgeの叔父へのTELで経験済みです。
アメリカでの地震前、日本ではこのような被害はあり得ないと言われていました。
近い将来必ず起こると予想される東海大地震、尊い犠牲者の死を無駄にしないためにも、この震災での教訓を生かしてほしいものです。
http://ci.nii.ac.jp/naid/110007152479
Re:震源地に近い程。。。
やっぱりそうなんですね。
名古屋ー甲子園より インドー甲子園 が通じやすいというのはなぜでしょう?
地震の後ほんとに数十分はどこにでも電話が繋がって
その間にあちこち消息確認できたのは私の場合ラッキーでした。
そして
その後一切通じなくなりましたから・・。
でもロスからはかかってきたんですね。ほんとに不思議でしたが元気もらえました。