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今年も日本を脱出することになりました。
昨年は公務で30日
今年は完全プライベートで7日です。
行き先は憧れのザルツブルグです。
約10年前、オランダの学会の帰りに立ち寄った思い出深い町です。
その時は9月も半ばですっかり音楽祭は終わっていました。
学会に一緒に行った先輩がサウンドオブミュージックの大ファンで
ミラベル宮殿でドレミの歌を歌って
シャーフベルグの登山電車に乗って盛り上がろう!
と言う趣旨の旅でしたが
今回は完璧に音楽祭狙いです。
この音楽祭は7月27日から8月31日まで続き
オペラ、オーケストラ、ピアノソロ、歌曲と
いろいろなジャンヌの音楽を聴くことができます。
一週間と言っても移動日をのぞくと4日ほどしか聴けないので
どこからどこまで行くかと議論の末
この日程となりました。
メンバーは
親友Y子
その高校時代の友人Sさん、Kさん
SさんはY子の声楽の先生、
KさんはピアノでT学園大の短大(社会人入学)を昨年卒業し
現在専攻科に進んでおられると言う勉強家、ドイツ留学経験があり
ドイツ語がぺらぺらなのでこの旅では大いに助けてもらいました。
今日は関西空港からまずフランクフルトへ飛び
約2時間の乗り継ぎ時間でザルツブルグに飛びました。
時差が7時間あるので
今日はなるべく飛行機の中で眠らないようにして
ホテルで眠れるようにと作戦を立てていたので
おかげでぐっすり眠れました。
明日からいよいよ音楽三昧です。
今日は彼女が出演するコンサートが倉敷の音大であり聴いてきました。
彼女の出演する時間に行こうかと思いましたが
その前に
広島大学整形外科生田博士による講演
“楽器演奏者の手の障害について”
があり、その講演に間に合うように最初から聞きました。
予想通り非常にわかりやすく手の障害を
分類、原因、対処など説明されました。
今日面白かったのは
シューマンは手の障害のため演奏家をあきらめ作曲に専念したそうで
障害は橈骨神経障害かジストニアだったらしいです。
もしシューマンが手を傷めず演奏家として大成していたら
あの膨大な作品は減っていたでしょうか?
それとも天才シューマンは演奏と作曲を両立させたでしょうか?
興味深いところです。
コンサートは
知的障害部門と四肢障害部門からなり
前半は知的障害者の方
自閉症など人とのコミュニケーションが取りにくい方も
堂々と演奏をされていました。
いよいよ
ゆうきちゃんので出番
エリーゼのために と
Flavor of Life(宇多田ヒカルの曲です)
の2曲
前回より良く練習して
曲想も良く付いて
fもパワフルに
一段とグレードアップしてニューヨークに向けて
弾みがつきましたね。
その後の方は皆素晴らしく
障害あるのに頑張ってはる~
と言うレベルではなくって
本当に素晴らしい演奏ばかりでした。
興味のある方はのぞいて見てください。
http://ipd-piano.sakura.ne.jp/index.html
今日の前半はリュートの伴奏でヨーロッパ民謡とイタリアのバロック歌曲
後半はピアノ伴奏で日本の歌曲という構成でした。
先日のレッスン以来、リュート伴奏の歌曲のCDを繰り返し聴いて
その魅力に取り付かれていましたので
何としても開演に間に合うよう仕事をダッシュで終わらせました。
先生の声は前半は軽く美しく聴いていてとても心地の良い響きでした。
後半の歌曲は合唱曲を彼女のためにソロとピアノに書き直した関西初演版。
一緒に行ったコーラスに詳しい友人の話によると
ソプラノ以外のパートがピアノに組み込まれているため
ピアノがすごいことになっているとのこと。
超絶技巧のところも難なく弾きこなされていて
すばらしいピアノでした。
後半の先生の歌は表現したいことが山盛りと言った感じで
前半の歌とは明らかに異なっていました。
私の好みはやはり前半でした。
今はやっぱり聴いていて心地よい癒し系の音楽がいいです。
大阪国際フェスティバルのコンサート
今日はフェルツマンのピアノリサイタルを聴いてきました。
前半はベートーベンのソナタ悲愴と31番
後半はムソルグスキーの展覧会の絵
と言う構成でした。
まず悲愴から
最初の地底深く沈んでいくというイメージの重厚な和音を
押さえずに手を離してしまう奏法で弾かれました。
しかも途中からハーフペダルで音を逃がすようにされていました。
どちらかと言うと沈む音より空中に舞う音を求めておられたんだと思います。
3楽章の出だし、アウフタクトのスタカートも長めに弾いていて
少しイメージの違った構成でした。
31番もゆったりとしたテンポで始まって
歌いたいところがいっぱいあって気持ちは良くわかるけど
ちょっとやりすぎてない?もう少し普通でも?
と思ってしまいました。
後半展覧会の絵はすばらしく
重厚な音から軽妙な音まで良く響いて
文字通り展覧会の絵を見ているようでした。
やりたい放題でやることが全部決まってると言った感じでした。
アンコールは1曲だけでシューマンーリストの献呈
http://www.feltsman.com/content.html
美しい曲です。↑はフェルツマンの演奏
http://www.youtube.com/watch?v=pvba55qIEdk
↑はクライバーンの演奏です。かなり昔の映像のようです。
これも素敵な演奏です。
バッハの二つの受難曲の中で日本では圧倒的にマタイの方が演奏の機会が多いと思われます。民族的におだやかな日本人はマタイの方を好むと思われます。
ヨハネ受難曲はかなり激しい曲ではっと息を呑むような場面がたくさん出てきます。
今日の鈴木氏の指揮もコーラスも激しさを感じさせるものでした。
新約聖書には4つの福音書があります。
マタイ、マルコ、ルカ、ヨハネ、それぞれ特徴があります。
マタイはユダヤ人を対象に書かれたためユダヤ人の王としてのイエスを
マルコは神のしもべとしてのイエスを描き
ギリシャ人で医者であったルカによる福音書は異邦人を対象に書かれたためわかりやすく人としてのイエスを描き
そしてヨハネは神としてのイエスを描きこの4つの福音書の中では一番難解です。
神秘的で霊的な言葉に満ちています。
最初からして
“初めに言があった。
言は神と共にあった。
言は神であった。”
と非常に難解です。
バッハはこの受難曲を受難の悲しみだけではなく、むしろ力強さを感じさせる曲で構成させたということは、ヨハネによる福音書が最初からイエスが神としてのみ描かれていることと関係があると思われます。
心理学者の河合隼雄さんが以前テレビで
“ロマン派の音楽は感情に働きかけてくるが
バッハの音楽は直接たましいに働きかけてくる”
というような内容のお話をされていましたが、
全く同感です。
キリスト教教徒でもなんでもない私がこの曲を聴くと魂が揺さぶられる感じがするのです。
仕事上のいろいろのいやなこと、つらいことを忘れしばらくは(期間限定)いい人でいられそうです。